もりもり食べる

日々考えたことをきままに綴るブログです

生き物が本当の意味で死ぬ瞬間

今朝、朝ごはんを作っているときに『 生き物が本当の意味で死ぬ瞬間 』について思ったことがあったので、メモ。

 

お味噌汁に使用するしめじを切っているときに思った。

しめじも命で、人参も命で、大根も命で…ってかんじで考えが派生していった。

 

"  食べたもの=自分  "

ならば、ヒトが生きるためにいただいた命はその生命における死ではなく、生。

違う命として生まれ変わっている。

いただいた命がヒトの身体によって代謝されて、新しいものに生まれ変わっているから。

 

使われないエネルギーが本当の死。

脂肪になっていつまでも停滞している、それ。

私の脂肪がそう。 

 

申し訳ないことをしているな、とふと思った。

私が生きるために他の命を採取することが、その命を殺してしまう行為なのではなく、いただいた命を無駄にしてしまうことが、本当の意味での殺してしまうということなのかもなって。

 

共存を考えるならば、エネルギーになる分だけ、必要な分だけ。

 

これって都合のよい考え方?

とりあえず、メモ。

受験

今日は、都立高校の入試。

 

我が旦那さんの勤める塾は、都立高校入試がメイン。

私立よりも都立高校を目指す子が多いみたい。

親の経済状況から、本人の実力までトータルで考えて全面協力している。

 

大学受験生もいるが、もう自分である程度判断ができるということもあり、大学受験は本人のサポート程度。

高校受験生は全面協力。

だからか、特にこの時期は旦那さんが毎年緊張している。

 

今日、みんなが実力を出し切れますように。

 

続・皿

物事の本質を捉えたお皿が一番美しい形なのだと思う。

つまりは、食べ物を美味しく食べることの出来るお皿。

 

 

↑ この本に載っていた調査対象者の食卓の写真は、違和感を感じることが多かった。

そういう類の写真ばかりを掲載しているというのもあるのだろうけれど。

 

具体例を出すと、

購入してきたお惣菜容器のままとか、プラスチックの仕切り皿とか、家族分のステーキを大皿にドーン!とか、他にもいろいろ。

 

 

美しくないし、なんだか寂しい。 

 

 

きっとこれはお皿の核になる本質にそぐわないもので、だから美しくないし、美味しそうにも見えないのだろう。

お皿が持っている機能の一部を利用しているだけ。

お皿のすべてを活用はできていない。

私はそこに違和感を感じている。

ただ、お皿の個性を活かそうと思うと手間がかかるし大変。

 

忙しいのだろうし、こういうものはそれぞれの感覚もあるから、なんていうかなー。

私はそう思うというだけなんだけれど。

 

んー……。

なんていうか、うーん。

 

『食は人を作る』というのが私の考えだから、それでいいの?って思う。

 

私みたいなぺーぺーが、こんな偉そうなこと言える立場じゃないのだけれど、このブログは自分の考えを知るのがモットーだから、あえて書いた。

でも自分に自信がないので、小さい文字で。

 

・・・なんていうか、話はぶっ飛んでしまうけれど、

人もお皿と同じで、その人の個性を活かした場がその人が最大限に活かされる場だから、多少面倒でも、私自身を活かせる場所にいたいなーって思う。

どうでもよく扱われたくない、というのが本音かも。

 

 

これも脈略がないのだけれど、

「やりにくいってことは、他のやりやすい方法があるってこと」

大変お世話になった方からの言葉も思い出した。

大事な言葉なのでメモ。

哲学

私の尊敬する人はみんな、その人なりの哲学があるなーと思う。

 

話しているとその人の哲学にぶつかる。

話したことのない人でも、その人の言葉から哲学を感じる。

 

そういう人たちと同じラインに立てるかどうかは分からないけれど、同じラインに立つまでのどこかの過程には辿り着くことができる。

できれば、同じラインに立ちたい。

 

もっと物事について考えよう。

● 食器 1

 

日テレの『another sky』に出演されたいたデザイナーの佐藤オオキさん、それと、テレビ番組のインタビューに応えていた卵の殻を愛でる男性を観て思ったことがある。

 

役割を果たすために適したフォルムが、最も美しいフォルムなのではないか?

そして、空間にあったデザインが、最も美しいデザインなのではないか?

 

これって既にある考えなのだろうが、私はその二つの番組を観て初めてそう思った。

卵の殻を愛でる男性は、その機能性にあったフォルムとデザインであることに美しさをかんじているのかなーと思う。あと素材。

 

これは食器についてもいえる気がする。

例えば、お魚を食べるのに適した形があるから魚皿があるし、それを食べる空間に適した色合いやデザインがあるから、魚皿の中でも変化が出る。

(いま存在するもの以外にも、新たに魚皿としての本質とTPOにあったデザインを押さえたお皿が生まれれば、それは"  美しい "といえる価値のあるものなのだと思う。)

 

ときどき「ペットの餌用みたいな残念なお皿だ……。」と思うことがある。

それは、人が食べるのには適さないフォルムやデザイン、素材だからなのだろう。

 ペットの餌用のお皿が美しくないわけではない。

ペット用のお皿は、ペットが食べやすいようにデザインされているから、ペットがそのお皿にのった食事を食べる姿は美しい。

 

人間の食事には適さないので、あれと同じような見た目だと違和感を感じる。

 

● 食器 2

家にある食器を見れば、その人の質がわかるなーと思う。

(こんなことは、どんなことについてでも言えるのだろうけれど)

 

って話を料理教室の先生にしたら、先生も同意していた。

やはりそうなのかな・・・???。

 

自分自身について考えてみても、

「(私が違和感を感じる程度のお皿でなければ、)どんなお皿でもいい」と思っていた頃の自分と、「器にもこだわりを持った方がより豊かな食事になる」と思う今では、考え方もセンスも価値観も異なる。

 

なんだか、本当に、食事ってすごい。

怖ろしい~。

三大欲求って自分の真の姿が表れるのかな。

 

 

私が家庭料理に重きを置く理由

 

お店で食べる料理も美味しいし、デパ地下のお惣菜もお弁当も美味しいし、コンビニのおにぎりも美味しいし、どんな水を使ってるか分からないようなハラハラドキドキの屋台の料理も全部全部美味しい。

 

だけど、なにか物足りない。

美味しいのだけれど、身体にも心にも残る食事にめぐり合うことは滅多にない。

お金を出した料理はほとんどはずれがなく美味しいのに、なぜだろう。

それに比べ、家で作る料理はどんなに平凡な味だろうと、少し失敗していようと満たされる。

 

その違いって……。

この数日、考えに考えた。

 

 

「書けないなら書かなくてもいい」と何度も思ったのだが、私が栄養士の国家試験に合格したあの日、資格を取得しただけで、こんなことさえも今まで真剣に考えてこなかったのか……という、自分に対して情けない気持ちもあり、ここ数日、この一見どうでもよいような問いに対して自分なりの考えを探っていた。

 

結論は、「まーそうだよな。」っていうものにしかならなかったのだが(;´∀`)

 以下の文章が手料理(家庭料理)を大事にする私の理由。

 

 

↓ ↓ ↓

 

「家庭料理に重きを置く理由」

 

 

その理由は、愛。

 

食事(料理)は、生産者も含めた作り手と、食べる人との距離が精神的にも肉体的にも非常に近い。人の根幹にある三大欲求の一つ、『食欲』を満たすもので、生きて行く上で必要不可欠な行為。

そして、食事は作り手と距離が近いどころか、食べて消化して自分のものになるわけだから、食べたものは自分自身と言っても過言ではないと私は思う。

"  今日の食事が10年後の身体を作る  "って言葉があるくらい。

 

そういうものだからこそ、栄養ももちろんだけれど、料理には愛情がぎゅうぎゅうに詰まっていて欲しい。詰まり過ぎも重たいけれど。

私は、料理に愛を求めている。

 

人は肉体的な栄養(食事)と精神的な栄養(愛情)が必要で、それを同時にまかなえるのが家庭料理ではないかと思う。

毎日毎日同じ相手に作る手料理は、愛の塊だ。

お金を払う食事にも愛は詰まっていると思うのだが、あれは「その日、その時間」に向けた料理。

一生をともにする手料理って家庭料理の他にない。

その日によって異なる相手の体調や気分や、嗜好、どうやったら喜んでくれるかを考えた、手料理はなにものにも代え難い。

 

家庭料理は、強さは激しさはなく、日々の中に優しく淡々とある。

優しく食べる人を支える。

それがいいのだと思う。

ときどき、刺激的なものを欲するけれど、家で作った手料理が一番美味しい。

 

 

 

 

 

・・・ふー。

やっとまとまった。

その人なりの家庭料理像があるだろうから、「いやいや違うだろ」という人がいて当然だと思うのだが、これが自分なりの考え。

料理に関してここまで考えたことなんてなかったから、ああでもない、こうでもない、とパソコンに向かっている時間以外にも考えていた。

 

自分でこの考えにつっこみを入れようと思えばいくらでもいれられるのだけれど、私の根底にある気持ちはこれ。

外食も中食も受容するけれど、やっぱり手料理が一番だと思う。

課題図書

 料理教室の先生からの課題図書 ↓

 

昨日、ようやく読み終えた。

この本は、作者が20年に渡って家庭の食卓を調査し、分析した結果を述べたもの。

調査対象者の選出方法など気になる点はいくつかあったけれど、食事について考える良いきっかけになった。

 

そもそも、なんで私は手料理に重きを置いているのか?など、基本的な疑問が浮かぶ本。

 

 この疑問に関しては今朝ブログに書こうとしたのだが、なかなかまとまらず……。

言葉にしようとすると上手く形にならなかった。

 

明日再チャレンジしよう。

 

・・・今の文章と全く関係ないけれど、今日の羽生選手の演技がすごすぎた。

その場にもいないし、羽生選手の努力をなにも知らない私でも、テレビ越しに感動して涙が出る演技。

会場の観客の反応も他の選手と異なったように感じた。