もりもり食べる

日々考えたことをきままに綴るブログです

どうせ無理ではなく、こうしてみたら?

植松努さんの講演動画を観ました。

植松さんとは、北海道で宇宙ロケット開発事業を手掛けている方です。

 

なぜ宇宙ロケット開発に植松さんが携わっているかというと、

「どうせ無理」と言って子どもから夢を奪う、その悪循環を断ち切りたいからだそうです。

その「どうせ無理」をなくすには「宇宙だ」と思い、「無理」と思えることにチャレンジして成功すれば、「どうせ無理」と考える人が少なくなるかもしれない。だから、宇宙ロケット開発を行っているそうです。

 

この動画を観て、私も「どうせ無理」と思っていたことを思い出しました。

 

それは、料理です。

 

私は大学3年生の終わりまで父が務める会社の社宅に住んでおり、自分の部屋を持てない環境で何年も暮らしていました。

父はリビングのテーブル、母は狭い台所…と、おのずと自分たちの定位置が決まっていました。

そのため、母にとっては家で唯一一人になれる場所、自分の自由がきく場所が台所でした。

今は母が一人で台所に立っていたい気持ちが分かりますが、当時は全く理解できませんでした。

母の気持ちが理解できていない当時の私は、料理に興味があったこともあり、台所に行きたくて仕方がありません。

でも、台所に行って料理(っぽいこと)をしようとするとすぐ怒られてしまいます。汚くするし、片づけないからという理由をつけて台所に入ることを拒否されていました。

母がいないときに、父が卵を割る練習を沢山させてくれた記憶が実家の台所で楽しく料理(っぽいこと)をした数少ない記憶です。あと、父と素麺もゆでたかな。

 

私が小学生になった頃には、どうやったら母に怒られず料理ができるか考え、母がいない間に台所へ入って料理をするようになりました。

しかし、片付けをせず怒られる…の繰り返しです。

私も学習してもっときちんと片付けをすればよかったものの、私自身は片付けをしたつもりでも実際は綺麗に後片付けが出来ておらず、怒られてばかりいました。

毎回毎回台所に立つ度に怒られる日々。母の嫌そうな顔をいまだに憶えています。

そのため、料理に興味があったはずの私は「どうせ台所で料理するなんて無理」と、どんどん料理から興味を失っていきました。

結局、再び料理をするようになるのは旦那さんと付き合うようになってからでした。

 

 

 本当にやりたいことであれば、私のように再び楽しくやることは可能です。しかし、否定された記憶はいつまでも頭の片隅に残り続けます。

植松さんの演説通り、大人は子どもの希望ややりたいことを奪ってはいけないと思います。

いまでこそ、母が一所懸命に育児をしてくれていたから台所では誰にも邪魔されたくなかったんだと理解できますが、それでもやっぱり子どもがやりたいことをやらせてあげるべきだったと私は考えます。

 

植松さんが講演で、「失敗は悪いことではない。失敗したら、その後どうしたらいいのか一緒に考えよう。失敗に罰を与えてはいけない。失敗したら、なんでだろう?こうしてみたら?と他の人が声をかけてあげるべきだ。」と言っていました。

 

もし息子が台所に立ちたがったら、立たせてあげてる。もし失敗したら、失敗した理由を一緒に考える。もし片づけずに次のことをやろうとしたら、なぜそれがいけないのか説明する。次はどうしたらよいのか考える。

そうします。

 

ちなみに、母は決して意地悪だったわけではありません。やりたいと言った習い事は全部やらせてくれましたし、習い事の帰りに「夜が怖くて迎えに来てほしい」と私が言えば迎えに来てくれる母でした。

 

※今日の体重 55.0kg